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まつりだまつりだ
BO終わった。というか出来なくなった。
開始と同時に謎の強制終了。何か旧BO終了間際に突然のアップデートでプレイできなくなったのを思い出します。
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by gantsuke2134 | 2007-06-15 19:02
実習中に
A君「もう誤差適当に調整してさっさと終わらせちゃおうZE」
B君「そんなんだから計画学保留になったんだよ」
Cさん「留年やばいんじゃないの?」
A君「まぁいざとなったら泣いて土下座すりゃ何とかなるっしょ。留年は就活に響くから絶対避けたいしね」
B君「あれ1留なら大丈夫なんじゃないの」
A君「え、それ1浪の間違いなんじゃね、留年は一回でもやばいらしいよ」
Me「え」


全員「え?」
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by gantsuke2134 | 2007-06-11 16:57 | 日常
それでもいきていく
土日に妙な講演いってきました。テーマは「人生の目的」
人は何のために生きるのかということを仏教の観点から考えるというものです。
重要なのは「人生の目的」は「生き甲斐」とは違うということ。そして「人生の目的」というものは万人共通のものであるが、「生き甲斐」は人それぞれである。また、「人生の目的」に終わりはあるが、「生き甲斐」に終わりはない。
ある人に「人生の目的とは何ですか?」と聞くとその人は「人それぞれでしょう」と答えるという。その人は生き甲斐を人生の目的と勘違いしている。例えば、毎日仕事から帰って疲れを癒すために酒を飲むことが生き甲斐である人ならば、もし晩酌が人生の目的であるとすればその人は酒を飲むために生まれ死んでいくことになる。
また、生き甲斐に終わりは無い。ある人は自分の家を持つために働くことが生き甲斐であるという。では家を持てばそこで終わりなのか。否、その人は次に独立して会社を興すために働くというかもしれない。天下統一を成した秀吉は辞世の句としてこのようなものを残している。「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」。最後にかかれた「夢のまた夢」、秀吉の人生でさえも一つの生き甲斐に過ぎなかったという。家康もこううたっている。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」。生き甲斐に終わりはない。人の一生は重荷を背負って遠い道を歩き続けなければならない。
人は生まれたときに空へ飛び立つ。人生とは長い空の旅であり、死ぬときに人は地に帰る。しかし目的地の知らぬ者は無事着陸することが出来ず墜落する。ましてや方角さえ知らないものなればどうして目的地に辿りつくことが出来ようか。

ということを延々と聞かされました。ちなみに大部分は親鸞聖人の言葉が取り入れられてるようでした。途中ところどころ間違えてそうですけど、まぁ大体の内訳はあっているはずです。
僕は仏教信者じゃないので無事着陸できようが墜落死しようが関係ないと思ってるんですがね。生き甲斐があろうがなかろうが人生の目的を知ろうが知るまいが、その瞬間楽しんでいればいいような気がします。四半世紀いきれば少しは考え方も変わるんでしょうか。うちのチャンネルの長老陣に回答お願いしたいところです。
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by gantsuke2134 | 2007-06-04 18:43 | 日常